春分と春分の日の定義は違います。いつかと言えば、それは同じです。

春分(しゅんぶん)というのが二十四節気(にじゅうしせっき)の第四節気としてあって、毎年3月21日前後に該当します。

つまり、その日は春分に該当する日だから、「春分」の日ではないかと言われれば、まさにその通りです。同時にその日は、国民の休日である春分の日(しゅんぶんのひ)でもあります。

でも「春分」「春分の日」は、定義が違うのです。もう答を出してありますが、春分」は二十四節気の一つであり、春分の日」は国民の休日の一つです。出自からして違うのです。

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二十四節気の第四節気である春分

太陽の黄道上の動きを15度ごとに24等分して約15日ごとに区分した二十四節気の第四節気が春分です。天の赤道と太陽の黄道が丁度交差したところが黄径0度で、その点を「春分点(しゅんぶんてん)」と呼びます。

天文学的には、春分とは太陽がまさに春分点に到達した瞬間のことを指しますが、暦上では、その瞬間が属する日、即ち「春分日(しゅんぶんび)」のことを指します。春分日がいつになるかは国や地方の時差によって違いが生じますが、概ね3月21日前後となります。

そして時には、この春分点の属する日から、次の第五節気である清明(せいめい)になる直前までの、約15日間という期間を意味することもあります。

春分日としての春分は、太陽が真東から昇って真西に沈むため、その特徴として昼と夜の長さがほぼ同じになる日だということは、多くの方が知るところではかと思います。

そしてこの日を境に、第十節気である「夏至(げし)」まで昼の時間が徐々に長くなり、夜は逆に短くなっていきます。場所によっては極夜もあるヨーロッパなどでは、春分日の到来をもって春の始まりとしています。

休日法に定められた春分の日

これに対して、春分の日という名称の日は、昭和23(1948)年7月20日に公布・施行された、「国民の休日に関する法律」という日本国の法律に基づいて定義づけられた、国民の休日の一つです。

この、通称「祝日法」が効力を発する前は、明治6(1873)年施行の「年中祭日祝日ノ休暇日ヲ定ム」という太政官布告に定められた休祭日を、法令を代えながらもほぼ継承してきました。

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その当初より、「春季皇霊祭(しゅんきこうれいさい)」という祭日が定められていました。皇霊祭とは歴代の天皇・皇后・皇親の霊を祭る儀式で、宮中祭祀のひとつです。

現在の春分の日は、実はこの春季皇霊祭を引き継いでいるのです。現在においても、皇室ではこの行事を従来通り粛々と行っています。

とは言え、祝日の定義に祭祀的要素を持ち込むのは、きっと民主主義の広く浸透している戦後の日本においては相応しいことではなかったのでしょう。

それで、春季皇霊祭から名を変えた春分の日は、祝日法第二条において、その定義を、「春分日(太陽が春分点を通る日)、自然をたたえ、生物をいつくしむ。」とし、祭祀色を一切抜き去りました。

春分と春分の日の違いは、結局のところ…

つまり、国民の祝日である春分の日には、その定義に従って、自然を称え、生物を慈しまなければならない訳ですが、この抽象的な表現は一体どういうことなのでしょう。

その前に春分の日は春分日だと記載しています。つまりそれは3月21日前後のことで、二十四節気の春分と同じ日であるということになります。

春分に決まった行事というのは本来ありませんが、「彼岸(ひがん)」中日でもある春分は、ご先祖様のお墓参りの日、ご先祖供養の日として広く認識されています。

それは、真東から日が昇り真西に日が沈む日であるこの日が、涅槃にいる先祖と現世にいる子孫との交流を最もしやすくする日とされているからで、かつて公に祭日にしてまで宮中行事としていた理由はまさにここにあります。

それで話を元に戻しますが、自然を称え、生物を慈しめということは、つまりご先祖様を供養し敬い、万物に感謝する心を忘れてはいけない、と言いたいのではないでしょうか。

だから結局のところ、春分春分の日は、日も同じでやることも同じ、そう言ってしまっても何の問題もないのかも知れません。

おわりに

春分は二十四節気の4番目の節気、春分の日は祝日法で定めるところの国民の休日のなかの一つ。それは間違いありません。出自は確かに違います。

しかしそれが何だと言うのでしょうか。もうそろそろ重箱の隅を突っつくのは止めにしましょう。元来日本人とは極めてファジーな思考の人種です。この曖昧さこそが、日本人の美徳ですらあるのです。

限りなく春分に近い春分の日

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