三大行幸啓から四大行幸啓へ。令和最初は愛知県森林公園全国植樹祭。

天皇が御所から外出されることを行幸ぎょうこうと言います。皇后、皇太子や皇太子妃の場合は行啓ぎょうけいと言います。天皇が皇后、皇太子、皇太子妃のいずれか一人でも伴って外出すれば、行幸啓ぎょうこうけいとなります。

そういう訳ですから、平たく言ってしまえば、これらの皇族がちょっとでも皇居を離れれば行幸啓になる訳です。事実宮内庁は、行幸啓に重要度が大きいとか小さいとかいった違いはなく、どれも等しく重要であると言っています。

しかし、上皇上皇后両陛下が、毎年恒例で行幸啓してご臨席された行事が三つあったため、特にこれらの三つを区別して、三大行幸啓さんだいぎょうこうけいと呼ぶようになったのです。

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目次

平成の時代の三大行幸啓

その三つとは、昭和21(1946)年開始の国民体育大会(略称 : 国体)、昭和25(1950)年開始の全国植樹祭、そして昭和56(1981)年開催の全国豊かな海づくり大会で、各都道府県が持ち回りで開催しています。

国民体育大会と全国植樹祭は昭和天皇から引き継がれたものですが、全国豊かな海づくり大会は上皇陛下が天皇になられる前の皇太子時代から第1回目よりご臨席されていたものです。

従来昭和天皇が恒例としていた二つの行事の臨席に、平成になって一つ新たに加わったことによって、三大行幸啓なる言葉が恐らくマスコミ辺りから生まれてきたのだろうと思います。

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令和になって四大行幸啓

上皇陛下は令和元(2019)年5月1日より天皇の位を今上陛下に譲位されましたので、以後一切のご公務から遠ざかれます。

よって毎年恒例の三つの行事へのご臨席は今上陛下が引き継がれ、基本的には平成の時代と同様、皇后陛下とご一緒にご臨席されることになると思います。

ところが上皇陛下がそうであったように、今上陛下もまた、天皇になられる前からの繋がりのあるものを一つ、そのまま続けなければなりません。

上皇陛下の時のご事情については詳しく知るところではありませんが、今上陛下の場合はご皇族の方々の人数の減少によるもので、それぞれのご皇族方のご負担を考えての割り振りのようです。

そしてその一つ増えるという行事は、国民文化祭(略称 : 国分祭、別称 : 文化の国体)です。第1回目の開催は昭和61(1986)年で、今上陛下はこの初回よりご臨席されています。今上陛下が皇太子になられる前の話です。

よって今上陛下と皇后陛下は、毎年恒例の、ご臨席されるべき行事が三つから四つに増えたのです。これをもって、まだ実際に一箇所も行幸啓されていないうちから四大行幸啓よんだいぎょうこうけいという新たなる言葉が生まれ、気が付かぬうちに三大行幸啓に取って代わっていました。

三大行幸啓という言葉は、平成の幕引きとともに、知らぬ間に消えてなくなっていたのです。

令和最初の四大行幸啓

俗に四大行幸啓と称されるもののうち、令和最初の四大行幸啓は令和元年6月2日となります。愛知県尾張旭市森林公園で開催される、第70回全国植樹祭あいち2019~木に託すもり・まち・人のあす・未来~へのご臨席です。

愛知県下では昭和54(1979)年の第30回植樹祭に続いて2回目です。今回は令和初ということもあってか愛知県も力を入れ、早くより県内各市町村に向けて積極的にPR活動を行ってきました。

その中でも特に、シンガーソングライターの岡村孝子おかむらたかこあいち音楽大使に任命し、第70回全国植樹祭を広く県民に知らしめ、親しみ深いものにするためのイメージソングの製作を依頼していました。

岡村孝子は愛知県岡崎市の出身で、名古屋にある椙山女学園大学すぎやまじょがくえんだいがく在学中に同級生の加藤晴子かとうはるこあみんというデュオを結成して「待つわ」というミリオンセラーを世に送り出した頃より、ずっと愛知県下で知らない人はいないくらいの人物です。

本人もさぞかし光栄に思ってイメージソングを作成したことでしょうが、植樹祭前に重い病が見つかり、病気治療に専念するため、当日の式典への参加は断念せざるを得なくなりました。ご回復を心よりお祈り申し上げます。

おわりに

令和最初の四大行幸啓。大変おめでたいことであります。しかし更に忘れてならないことがあります。繰り返しますが天皇の外出を行幸、皇后、皇太子、皇太子妃の外出を行啓と言います。

そして、外出される以上、用が済んだならばまた御所に戻ってくる訳で、それにも特別な言い方があります。天皇が外出先から帰ってくることを還幸かんこうと言い、皇后、皇太子、皇太子妃の場合は還啓かんけいと言います。

つまり、行幸啓された後、無事還幸啓かんこうけいされて初めて、一連の流れは完成するのです。どうかそこをしっかりと気に留めておいて下さい。

宮内庁は行幸啓に大小の区別などないと言っていますが、考えてみればもっともです。もし四大行幸啓があったとしたら、四大還幸啓もあってしかるべきなのに、そういう言われ方はありません。

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