バレンタインデーの定番、チョコは自作が一番!でも本来はどんな日?

バレンタインデーなんて元々日本の記念日でも何でもないのに、今やバレンタインデーを知らない日本人など恐らく誰ひとりいないでしょう。

バレンタインデー。正確にはセイントバレンタインデー、もしくはそれを訳して聖バレンタインの日というべきでしょう。だってバレンタインとは聖人の名前なのですから、少なくとも敬称くらい付けて言わなければ、失礼というものです。

まあその辺、つまりバレンタインが聖人だということは皆さん薄々気が付いていると思いますが、改めて簡単に説明しておきましょうか。

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目次

聖バレンタインの日の由来

聖人って何だ?

先ず初めに断っておきますが、ここで言う聖人とは、カトリック的な用法での聖人です。即ち、信徒の崇敬の対象とするため、殉教や徳行によって列聖された人物に教皇が与えた称号のことです。

だから必ず「せいじん」と読んで下さい。「しょうにん」と読んでしまったら、仏教的な別の意味になりますから、注意して下さいね。どう考えも、バレンタインと仏教は結びつきませんから。

聖バレンタインとは何者か?

3世紀のローマ帝国。時の皇帝クラウディウス二世(在位268-270)は、若者たちがなかなか戦争に出たがらないのは、自分の家族や愛する者たちを失いたくないからだと理由づけ、若者の結婚を禁止してしまいました。

キリスト教司祭であったバレンティヌスはそんな若者たちを哀れに思い、密かに結婚させていましたが、それを知った皇帝はバレンティヌスを投獄し、ついには処刑してしまったのです。

このバレンティヌスこそが、英語読みで言うところのバレンタインなのです。処刑されたのは、269年2月14日のことでした。

2月14日の聖人の日の始まり

それから約200年が経過したローマ。ルペルクスという豊穣の神のための、ルペルカーリアという祭が何百年もの間行われていました。この祭では、男女がくじ引きでつきあう人を決めるということが行われていました。

毎年2月14日の夕方になると、若い未婚女性達の名前が書かれた紙が入れ物に入れられ、祭が始まる翌15日には男性達がその紙を引いて、引き当てた娘と祭の間を、或いはその後の一年間を共に過ごすというものです。

こうした若者達の風紀の乱れを憂えた時の教皇ゲラシウス一世は、496年、この奇祭のあり方に一石を投じます。くじ引きの中身を換えてしまったのです。未婚女性ではなく聖人の名前を引かせ、一年間その聖人の人生に倣った生き方を奨励したのす。

それで、200年ほど前の、丁度この祭の頃に殉教していた聖バレンティヌスを引っ張り出してきて、新しい行事の守護聖人としたという訳です。

2月14日は愛を誓う日

それ以降、この日は次第に、恋人達が贈り物やカードを交換する日になっていきました。それはもちろん、聖人バレンティヌスの取った行動に由来します。

時は前後しますが、皇帝クラウディウス二世によって投獄されたバレンティヌスは、獄中にもかかわらず看守達を前にして引き続き神の愛について語り続けていました。

その中の看守のひとりに目の不自由な娘がいたそうで、看守の雑用をしているうちに段々バレンティヌスと親しくなっていきました。それで、バレンティヌスが彼女のために祈り続けていると、何と、彼女の目は奇跡的に見えるようになったというのです。

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この「魔術」がきっかけとなり、恐れられたバレンティヌスは結局処刑されてしまいますが、処刑前に「あなたのバレンティヌスより」と署名した手紙を彼女に残したそうです。

この言い伝えが基になって、教皇ゲラシウス一世の改革以降は、次第に若い男性が自分の好きな女性に、愛の気持ちをしたためた手紙を差し出すという習慣が広まっていきました。

手紙からカードへ

そして更に時代が過ぎると、手紙ではなくカードがよく使われるようになり、現在に至っては男性から女性に限らず、女性から男性に対しても、お互いにバレンタイン・カードを渡すようになりました。

そのカードには、聖バレンティヌスがしたように「あなたのバレンタインより(From Your Valentine)」と書いたり、「私のバレンタインになって(Be My Valentine)」と書いたりすることがよくあります。

今では花束や菓子を贈ることもあるそうですが、これはあくまで主役のカードを引き立たせるための小道具で、愛のメッセージを綴ったカード交換こそが、2月14日の西欧諸国での一般的な定義です。

日本のバレンタインデー

聖人が殉教した日を祝う習慣など、元々日本にはありません。ではなぜこのセイントバレンタインデーなるものが、我が国に於いても、現在かくも巷を騒がせる日となっているのでしょうか。答は単純明快です。仕掛け人がいたからです。

日本で最初にバレンタインデー云々と言い出したのは洋菓子の「モロゾフ」で、戦前の昭和11(1936)年には広告を打ち出しています。その後はどこかの百貨店が「恋人に贈り物をする日」 として宣伝したこともあるらしいのですが、全く定着しませんでした。

それが戦後の昭和33(1958)年、日本を代表する高級チョコレートメーカーの「メリーチョコレート」の営業主任が、ヨーロッパの知人からバレンタインデーの話を聞いたことから状況が激変していきます。

この話を基に、メリーチョコレートは東京・新宿の伊勢丹デパートで 「バレンタインには女性から男性へチョコレートを贈りましょう」 というキャンペーンを展開しました。

「女性から」とした理由は、デパートで買い物をするのは圧倒的に女性だったことと、当時の風潮であったウーマンリブ(女性解放運動)の影響によるもので、この時初めて、女性から男性へという日本独自のバレンタインデーの起源が創作されました。

その後、日本チョコレート・ココア協会がこの機運に便乗して、2月14日を「チョコレートの日」と制定し、デパートなどの流通業界を巻き込んで大々的にチョコレート商戦を繰り広げたため、昭和45(1970)年頃から定着し始め、今日に至っています。

近年やたらと増えた洋風イベントの数々は、キリスト教になじみの薄い日本では本来の意味を完全に逸脱して、そのほとんどが商売のためだけに利用されているということを決して忘れてはいけません。

チョコが定番というのもまんざら悪くはない

こうして商人の都合で勝手に2月14日の女性から男性への贈り物にまつり上げられたチョコレートですが、まんざらデッチアゲということでもなさそうです。否、デッチアゲにはほぼ違いないのでしょうが、後から考えてみると、全く関連性がなかったとまでは言い切れない、と言った方が正確でしょう。

チョコレートの主成分であるココア豆の主な有効成分は、テオブロミンといってカフェインの作用によく似ています。一方でこのテオブロミンは、血管を弛緩させ、血液をより多く移動させる化学物質でもあり、血管拡張剤としても作用します。

これはつまりどういうことかと申しますと、その作用によって脳内を活性化し、心臓の鼓動をすこぶる安定化させる上に、男性によっては明らかに精力剤のような効果があるのです。

こうした刺激が恋愛に関係するということで、チョコレートがセイントバレンタインデーの贈り物に相応しいという理屈が成り立つ訳なのですが、さぞかしロマンティックかと思いきや、意外なまでに露骨な理由なのですね。

自作のチョコこそ何よりの媚薬

そんな極めて世俗的な理由で日本の積極的な女性たちはチョコケートを選ばされていると言うのなら、いっそのこと、そこをもっと深く追求して、聖バレンタインの日に男性に渡すチョコレートを、自分の手で作ってしまいましょう。

限りなく純粋にココア豆でできたチョコレートを作るのです。できるだけお目当ての男性の血管を拡張させ、脳内に血液を行き巡らせて活性化させ、興奮を呼び起こさせるのです。

元々世の一般男性は女性の手作りというものに弱いはずです。だから、多少味が苦かろうが形がいびつだろうが、大半は自分のためにわざわざ作ってくれたと感激するはずです。そうなればもうセイントバレンタインデーの恋愛成就は間違いありません。

おわりに

2月14日の女性から男性への贈り物は手作りチョコレートに限ります。でもこれは、本場西欧の流儀とは似ても似つかぬ、全くの別物です。

何でもかんでも西欧の真似をする必要などない、日本では日本のやり方でいいんだとおっしゃる方々も大勢いるかも知れません。

既に「セイントバレンタインデー=チョコレート」という図式が完全にでき上ってしまっている日本の現状を鑑みれば、それはそれで、大変結構な考え方だと思います。

西欧の理性を固持するか日本の野性で攻め立てるか、あなたはどちらを選びますか?どちらを選んで欲しいですか?

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