11月15日は七五三です。
七五三って、漢数字を並べているだけだけど、面白いネーミングだと思いませんか。なんだか純和風的な雰囲気を醸し出していますよね。
それもそのはず、七五三は日本で生まれた日本独自の風習なのです。しかもその始まりは、日本の悠久の歴史から見れば、まだ最近のことです。
目次
七五三はいつから始まったか
風習として広がったのは江戸時代です。江戸幕府第3代将軍徳川家光がそのきっかけを作ったと言われています。家光の四男の徳松が病弱だったため、慶安3(1650)年の11月15日に、5歳まで無事に育ったのを将軍家で祝ったところ、江戸の庶民が真似をしだしたのです。
そもそも今ほど医療の発達していないこの時代には、乳幼児の死亡率が今とは比べものにならないくらい高く、生まれた赤児が病気知らずで育てばそれだけでとてもめでたいことだったのです。
ちなみにこの徳松は後の第5代将軍綱吉で、60余年の人生を全うしています。お祝いの甲斐があってか、当時としては長生きした方ではないでしょうか。
またこの日は占星学的に「鬼宿日(きしゅくにち)」に当たる日で、鬼という字がありながらも最高の吉日とみなされ、お祝い事に最もふさわしい日とされていました。
いつ、どこで、なにを
少子化と言われる現代社会でも、昔とは全く違う意味で、やはり「子は宝」です。11月は七五三の参拝に向かう晴れ着姿の子供たちと、付き添いの親の姿をどの界隈でも見かけます。
目指す先は写真館?いえいえ、それは二の次でなければなりません。目指すはもちろん神社ですが、近所の氏神様、大きめの神社、どちらでも構いません。お参りのマナーは通常の神社参拝と同じです。
御祈祷をお願いする場合は初穂料または玉串料をお忘れなく。相場は5000~10000円くらいですが、神社によっては金額を決めてあるところもあるようです。
参拝日については、昨今では特に15日にこだわることなく、前後の土曜・日曜・祝日など、各自の都合の良い日に合わせているのが一般的です。ちなみに2018年11月の「鬼宿日」は16日金曜日です。
男は五三、女は七三
家光が広めたとされる七五三ですが、5歳だけでなく3歳、7歳と祝うのはさらに由来があります。
3歳は「髪置(かみおき)」という平安時代の儀式から。子供は男女とも3歳までは坊主頭で、3歳の春にこの儀式を行ってから髪を伸ばし始めました。
5歳は男児が始めて袴を着用することを祝う「袴着(はかまぎ)」という儀式からです。平安時代には男女とも行われたものでしたが、江戸のころには男児のみの風習となりました。
そして7歳は「帯解(おびとき)」です。女児の着物の付紐を取り、帯を使用し始めることを祝う儀式です。室町時代に確立されたこれも初めは男女共の儀式だったのですが、江戸時代になって女児のみの風習になっていきました。
これを根拠に男児は3歳と5歳、女児は5歳と7歳にお祝いするとされているようですが、これについても厳密ではなく、地域によっても違いがあるようですし、子供の少ない今では性別も年齢も関係なく3回とも晴れ着を着せて喜ぶ親たちも多いようです。
そもそも江戸っ子の洒落っ気みたいなもので広まった風習ですから、もともと適当な紐付けだったのかも知れません。
千歳飴
七五三につきものとされるものがあります。縦長の大きな袋に入った千歳飴です。あれを単なる子供の喜ぶお菓子程度に思っていてはいけません。
まあ、子供の駄菓子には違いないのですが、あれにはちゃんと意味があるのです。
千歳飴は棒状の飴で、通常の飴玉よりもやや柔らかくてよく伸びます。そこから子供にいつまでも幸せに生きてもらいたいという願いを表しているのです。つまり、長寿や健康の願いが込められているわけです。
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終わりに
七五三は神社に行く日であって写真館に行くための日ではありません。
今や北は北海道から南は九州・沖縄まで、日本全国子供の晴れ着姿だらけで、まるでファッションショーです。
可愛い子や孫の艶やかな姿を写真に収めたい気持ちは分からなくもありませんが、七五三は子供の発表会の場では決してありません。
先ずは子供の健やかな成長を神様に願って下さい。少子化著しい日本の未来を担う子供たちに幸多からんことを、私は願ってやみません。