穀雨。日常の生活や会話において、この言葉が登場する機会というのはまずないでしょうから、そんな言葉は今初めて知ったという人がいるかも知れません。
しかし日本には、日頃使うことは滅多になくても、このように美しくて情緒的で、文字を目にするだけでその意味するところの雰囲気を醸し出している言葉というものがたくさんあります。
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穀雨とは?
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だからこの穀雨にしても、この文字を目にすれば、ああ、穀物の成長のために降る雨のことなんだろうなと、遠からず察しがつく訳です。
穀雨とは、二十四節気のひとつで、即ち季節を表す言葉です。立春から始まり、雨水、啓蟄、春分、清明と続いた後の6番目の節気で、この6つが四季でいうところの春に該当します。
穀雨は毎年4月20日頃にやって来ます。正確に言えば、少し専門的な話になりますが、太陽の黄道と天の赤道の交差角度である黄経が30度になる日です。
天文学的にはそうなる瞬間を意味しますが、暦の上では、その現象が起こる日のことを指す場合と、次の節気である立夏になる前日までの、約15日の期間を指す場合の両方があります。
春雨降りて百穀を生化すればなり(暦便覧)
穀雨の命名の由来は、雨が百種の穀物を生じさせる時期であることからです。この時期を迎えると気温は俄かに上昇し、寒気が戻ることはなくなります。
またこの頃には春の長雨が降り、それに合わせるように田畑で作付けする準備が始まります。つまり穀物を育てるには絶好の頃合いということなのです。
ただし、二十四節気自体がもともと中国の黄河中下流域である中原で、紀元前に作られたものなので、緯度も経度も違えば気象現象も違う日本に外見だけ当てはめてみても、実際にそのように体感するのはまだまだ先の話です。
たとえば中国のこの地域には日本のような梅雨も台風もありませんので、最も暑い時期が日本よりも約2か月程早く訪れます。
ですから、穀雨も含む二十四節気の意味を日本で考える場合、今はまだまだそんな感覚ではないでしょうが、やがて知らず知らずのうちにあっという間にそんな季節がやって来ますよといったアナウンスみたいなものといったところが妥当かも知れません。
穀雨だからといって美味いものが多い訳ではない
穀雨という名称から美味しい穀物を連想するからか、穀雨と旬の食材を結び付けた情報を多々見受けますが、それらについては甚だ疑問です。
穀雨だから旬のものがあるのではありません。その時の旬のものが穀雨の時期にあるだけです。そして旬のものは、なにも穀雨の時期に限らず、他の節気の時にだってそれぞれの時期の旬のものがあるのです。
そもそも穀雨の名の由来は、穀物を育てるために降る雨ということであり、この時既に育った穀物があるという意味ではありません。
ですから穀雨と旬の食べものなんて何の関係もありませんし、それを結びつける何の根拠もないと言っていいと思います。
おわりに
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私はむしろ、穀雨と旬の食材の関係よりも、穀雨と仏教の関連性を強調したいと思います。穀雨の時期には無限の記憶力がつき、仏の知恵を体得することができるかも知れません。
なぜならば、穀雨になれば何も妨げるものがなくなり、すべてのものの存在する場所としての空間が広がるからです。
つまり、穀雨は虚空!、と言いたい訳でして・・・。
お後が宜しいようで。