忘年会で蘊蓄(うんちく)を語れる幹事は無礼講でも一目置かれるかも。

忘年会は一年の区切りだから、忘年会の幹事さんは普通の飲み会の仕切り役と違って、ちょっと責任重大です。裏方の仕事のみならず、会の進行にも留意する必要があります。すなわち名司会者でなければなりません。

そんな時、忘年会についての蘊蓄を上手にひけらかしてやれば、貴方は無礼講の最中でも、きっと一目置かれて、後日名幹事の名声を欲しいままにすることでしょう。

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目次

忘年会の歴史

忘年会の歴史は思いのほか長いです。鎌倉時代にはすでに、「年忘れ」と称する宴会行事が催されていました。この行事は、年配者が若年層と付き合って一緒に騒ぐことで、年齢を忘れて世の中を楽しもうとするものです。

現代の忘年会は、気の合う友人や職場の仲間たちと、年の瀬に行なって一年間の憂さを晴らす場と化していますが、いずれにせよ、この「年忘れ」が基礎となっていると言うことができます。

忘年会は厄落とし

忘年会は、できる限り盛大にやるべきです。なぜならば、そもそも忘年会には、厄払いの意味があるからです。

忘年会は、翌年に向けて、新たなる運を切り開いていくための催しなのです。だからその年の一年間の厄をきれいさっぱり払い落とさねばなりません。

つまり、忘年会は厄落としの行事ということですから、やる以上はとことん派手にやった方が縁起がいいというわけです。

忘年会での無礼講

忘年会の始めの挨拶として、「今日は無礼講で…」という言葉がつきものというくらいよく使われます。それを真に受けて、社会常識を大いに逸脱したような行動を取ってしまう人が、近年では増え続けているそうです。

真に受けて、と言うよりもむしろ、勘違いして、と言った方が、より正確でしょう。そもそも無礼講というのは、一体何なのでしょう。

礼講と無礼講

無礼講礼講に対する言葉です。酒席というのは元来神事に由来しています。祭祀の最後に、神に奉納した神酒を参列者も授かる直会(なおらい)という行事がまさに礼講です。つまり、酒を飲むにも、儀礼を尽くして飲まなければならないのです。

そうした背景から、古代日本の貴族主体の宴会でも、座席や酌の順番、杯の回数や手順など、事細かく儀礼が重んじられていました。

しかし武家が台頭した中世以降は、小難しくて堅苦しい作法を取り払った一般的な宴会が好まれて、その形式が広まっていきました。それが無礼講です。

無礼は許されない無礼講

厳格な作法を重んじる礼講に対して、厳格な作法の無い無礼講です。決して無礼な振る舞いをしてもよいという意味の無礼講ではありません。その基本は絶対に抑えておくべきでしょう。

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その意味をはき違えて、若手社員が上役に酔って絡む事例が毎年必ず発生しており、醜態極まる場合は解雇を受けるなど問題化することがしばしばあるようですので、くれぐれも気を付けて下さい。

現代の無礼講

現代においても、無礼な態度は許されないのが無礼講の基本中の基本ではありますが、解釈してはより柔軟になっています。

酌などの作法を無視するという本来的なものであったり、仕事以外の話題を積極的に取り上げるということであったり、あるいは注文する料理の値段を気にしなくていいということであったりです。

いずれにせよ、宴会を楽しんで欲しいという意思表示として形式的に使われているわけですので、くどいようですが、無礼講だと言われても、他人に不快な思いをさせる飲み方だけは絶対にしないで下さい。

まとめ

忘年会は厄落としの行事です。だから豪華に、そして盛大に催して下さい。その方が縁起がいいのです。

忘年会には無礼講という言葉がつきもののようになっていますが、この言葉の意味を勘違いして、社会的な常識を疑いたくなるような行動を取るまねだけは、絶対にしないで下さい。

無礼講とは身分や地位の上下にこだわらずに、参加者みんなで楽しむための宴会のことです。

忘年会をいくら派手にやった方がいいといっても、あるいはいくら無礼講だからといっても、羽目を外し過ぎない自制心は必要です。

忘年会は不平不満をぶつける場ではありません。周りの人を不快にさせる行動は、絶対に避けましょう。

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