「彼岸(ひがん)」とは暦上の言葉です。「雑節(ざっせつ)」のひとつです。春と秋に、それぞれ「春分(しゅんぶん)」と「秋分(しゅうぶん)」を真ん中において各7日間ずつ、合計14日もあります。
「暑さ寒さも彼岸まで」。これは日本の気候について述べる慣用句としては最も有名であり、最も的を射ているのではないでしょうか。この慣用句が言い表す通り、残寒・残暑は彼岸のころまで続き、彼岸を過ぎると和らいでいくのです。
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雑節は決して雑なんかじゃない
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日本には、雑節という暦日があります。暦日としては他に、二十四節気(にじゅうしせっき)や五節句(ごせっく)などがよく知られています。この二つが中国から伝わったものなのに対し、雑節というのは日本の気候風土に合わせて生み出された、日本独自のものです。
ですから、実際に体感する感覚に近づき、より的確に季節の移り変わりを掴む目安とすることができるとされ、新暦を用いるようになった現在においても使われています。今では雑節は9つあるとされています。
雑節の面白いところは、二十四節気や五節句と違って、該当日が一年に一回だけとは限らないというところではないでしょうか。例えば彼岸の場合は、彼岸自体が春と秋の二回あって、しかもそれぞれ7日ずつあるというのはすでに説明した通りです。
彼岸って何?
一年のうちに14日もある彼岸ですが、もう少し詳しく調べてみましょう。
先ず最初の彼岸は、春分(3月21日前後)の3日前に始まります。初日を「彼岸の入り」と呼び、2日目の彼岸、3日目の彼岸と過ぎ、4日目の彼岸は「中日」と言い、春分当日でもあります。そして5日目の彼岸、6日目の彼岸と過ぎて、7日目は春の彼岸の最終日で「彼岸の明け」と呼びます。
8日目の彼岸は秋分(9月23日前後)の3日前に訪れます。秋の彼岸の初日を春と同様「彼岸の入り」、4日目を「中日」、最終日を「彼岸の明け」と呼びます。
彼岸は俳句の季語としても使われます。季節は春を指します。彼岸は秋にもありますが、季語としての「彼岸」は春のみです。秋を表したいときは、「彼岸」に対して、「秋彼岸」または「秋の彼岸」という季語を使う必要があります。
仏教との関連
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彼岸は仏教用語でもあります。直訳すれば、「あっちの岸」ということになるでしょうか。あっちの岸がどういうところかというと、悟りの境地ということです。
つまり、悟りの境地に至るために越えるべき迷いや煩悩を川に例えているのです。悟りの境地、即ち涅槃(ねはん)であるあっちの岸に対して、現世である「こっちの岸」は「此岸(しがん)」と言います。
雑節である彼岸の期間は、この仏教で言うところの彼岸と大いに関連があって、この期間にする行事は仏事ばかりです。この彼岸の期間に行われる仏事のことを、「彼岸会(ひがんえ)」と言います。
雑節の彼岸は春秋それぞれ7日ずつありますが、中日である春分又は秋分はご先祖様に感謝する日であり、残る6日は、涅槃に行くのに必要な6つの徳目である「六波羅蜜(ろくはらみつ)」を、一日に1つずつ修める日と、一般的にされています。
ところで、春分と秋分は昼と夜の長さがほぼ同じになる日ですが、彼岸に仏事を行う風習は、この太陽にも関係しています。
迷いや煩悩に満ちた現世である此岸は川の手前の東側に、悟りの境地である彼岸は川の向こうの西側にあるとされています。だから、太陽が真東から昇って真西に沈む春分と秋分は、此岸と彼岸が一番通じやすくなる日と考えられ、そのことにより、この期間に先祖供養が行われるのが一般的になったと言われているのです。
また、お彼岸のお供えものの定番に、ぼたもちとおはぎがあります。どちらも米と小豆という同じ材料でできているので同じものです。しかし春には春に咲く牡丹にちなんで「牡丹餅」といい、秋には秋に咲く萩にちなんで「御萩」と、別の呼称を使っているのです。
また、小豆は秋に収穫されるものであり、かつてはかたくなった皮を取ったこしあんを春に、皮ごと使った粒あんを秋に使っていました。ですから厳密に言えば、本来牡丹餅はこしあん、御萩は粒あんを使うものという違いがあります。
おわりに
彼岸と聞いて、真っ先に思いつくのは何でしょうか。近頃では彼岸島だとか、彼岸花の咲く云々だとかいったように、彼岸という言葉から派生させた全く別の解釈の方が馴染みがあるのかも知れません。
そのような派生語を生み出してヒットさせた人達は、まさにヒガンタッセイ(悲願達成)といったところで、してやったりなのでしょうかね。