令和、これは平成にかわる新しい元号です。これは、我が国で元号が使われるようになってから248個目の元号になります。
令和は極めて特殊な元号となります。西暦645年に大化で始まった日本の元号は、1400年近い歴史の中で、未来のために前もって定められたことなど、恐らくありません。
目次
平成から令和への改元理由
天皇陛下が皇太子殿下に天皇の位を譲位される意向を示されたのに伴い、政府は西暦2019年5月1日を新天皇誕生の日と決定しました。
天皇が代替わりすれば、元号も新しいものに改めなければなりません。それは元号法という法律で定められているからです。
元号法自体は昭和54(1979)年の制定と、比較的新しい法律なのですが、その精神は旧憲法である大日本帝国憲法下の旧皇室典範第12条に明記されていた規定を踏襲しています。即ち、元号は皇位の継承があった場合に限り改める、いわゆる一世一元の制を定めているのです。
江戸時代が終わるまでは、天皇の在位中に諸事情によって元号を改めることなど頻繁にありました。封建時代最後の天皇である第121代孝明天皇(天保2(1831)年6月14日~慶応2(1867)年12月25日、在位 : 弘化3(1846)年2月13日~慶応2(1867)年12月25日)ですら、約21年の自身の治世の間に6回も改元しています。
また孝明天皇が践祚した弘化は5年まで続いていますから、逆に天皇が代替わりしたからといってその都度元号を改めていた訳でもないのです。
しかし明治になって西欧諸国に準じた近代国家の形成が急務な新政府は、天皇を中心とした新しい国家体制を築く必要がありました。
第122代明治天皇(嘉永5(1852)年9月22日~明治45(1912)年7 月30日、在位 : 慶応2(1867)年12月25日~明治45年(1912)7月30日)は、孝明天皇の崩御によって若干14歳で践祚され、当初の2年弱は慶應の元号の下で在位され、慶應4年の即位をもって明治と改元されました。
その時発せられた明治改元の詔で、天皇一代に元号一つという一世一元の制を定めたのです。よって、またの名を一世一元の詔と言います。
恐らく元号が頻繁に改められては、いつまでも封建的な名残ともなりますし、尊大な天皇のイメージにも悪影響を与えかねず、人心を一つにするのが容易ではなくなるからではないでしょうか。
いずれにせよ慶応4(1868)年9月8日に発せられたこの詔勅の規定は、大日本帝国憲法制定後は旧皇室典範に受け継がれ、戦後新憲法が発布されてから暫くの間は新皇室典範からその記述が削除されたため法的根拠はありませんでしたが、昭和54(1979)年に元号法という独立した法律として成立し、明治初頭以降一世一元の考えが脈々と引き継がれているのです。
明治以降の一世一元の元号
明治45(1912)年7月30日に明治天皇が崩御すると、同日皇太子であった第123代大正天皇(明治12(1879)年8月31日~大正15(1926)年12月25日、在位 : 大正元(1912)年〉7月30日~大正15(1926)年12月25日)が践祚し、改元の詔書によりその日は大正元年の始まりの日に改められました。
大正15(1926)年12月25日に大正天皇が崩御すると、同日皇太子であり摂政であった第124代昭和天皇(明治34(1901)年4月29日~昭和64(1989)年1月7日、在位 : 昭和元(1926)年12月25日~昭和64(1989)年1月7日)が践祚し、改元の詔書によりその日は昭和元年12月25日に改められました。
そして昭和64(1989)年1月7日に昭和天皇が崩御すると、同日皇太子であった第125代今上天皇(昭和8(1933)年12月23日 ~、 在位 : 昭和64(1989)年1月7日 ~)が践祚され、その日のうちに元号法により元号を改める政令を定め、翌日より施行されたため、平成元年は今上陛下御践祚の翌日1月8日が始まりの日です。
令和はちょっと特殊な改元
さて、平成の次は令和と決定した訳ですが、この度の改元は明治以来の決め事に沿いながらも、かなり特殊な改元と言うことができます。
この度の改元は天皇の崩御によるものではなく、天皇の憲政史上初の譲位によるものです。今上陛下の御在位はまだ暫く続きます。元号法に基づき平成31(2019)年4月1日をもって新元号は定められましたが、実際に令和元年が始まるのは1か月先の5月1日からです。予め次の元号を決めておくなどということは、これも少なくとも憲政史上初のことです。
そもそも元号とは天皇と共にあるものです。事実平成まではその時の天皇が、自身で決定したり承認したりしてきました。
ところが今回は、繰り返しますが譲位による改元です。デジタル社会に甚大な影響を及ぼさないように、元号が改まるのが予め分かっているのなら、その元号自体を決めておこうという配慮からかと思われますが、新元号は元号法に基づき、政令の定めによって決まり、公表されています。
即ち政令が公布されているのです。政令の公布は天皇の国事行為です。つまり極端な言い方をすれば、ご自身の御代ではない次の御代の元号を今上陛下がお決めになっている、逆に言えば次の天皇になられる現皇太子殿下が、ご自身の御代の元号をご自身で承認されていないという、矛盾めいたところがある訳です。
更にはその出典にも注目すべきです。令和以前の元号のほとんどは、四書五経など中国の古典からの出典でしたが、今回の令和はそうした過去の慣例を破り、初めて日本古典を由来としたのです。
おわりに
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新元号の出典は万葉集です。万葉集は7世紀から8世紀後半頃に編纂された、現存する日本最古の歌集です。全20巻からなり、天皇や貴族、防人や農民まで各地の幅広い立場の人たちが詠んだ和歌が4,500首以上集められています。
令和の天皇にとっては特異な元号かも知れませんが、令和の天皇の御代に生きる国民にとってはその名の由来の通り、日本人一人一人が明日への希望をもって、それぞれの花を咲かせることができる穏やかな時代であればいいと思います。