令和。平成の次の、新しい元号です。平成31(2019)年4月1日に閣議決定され、元号法に基づき改元することを政令で定め、平成の今上陛下の国事行為によって公布されました。
言わば今上天皇が次の天皇の御代の元号を定めた、ちょっと不思議な元号です。施行日は5月1日で、その日天皇陛下は今上陛下でなくなります。
いずれにせよ平成の御代は平成31(2019)年4月30日をもって終了し、翌日は令和元(2019)年5月1日となって新しい天皇の御代が始まります。
目次
今上の天皇陛下と今上でない天皇
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今上陛下は平成の天皇陛下です。ですから平成が終わる4月30日までは今上陛下ですが、翌5月1日からは今上天皇ではなく、上皇陛下になられます。今上の持つ意味からして、今上上皇という言い方は存在しないと思います。そもそも上皇は太上天皇の略です。
それから5月1日以降に上皇陛下の存命中に平成天皇とお呼びするのも間違いです。ましてや平成の現時点においてにおいて今上陛下を平成天皇とお呼びするのは言語道断です。いずれにせよどちらも不敬以外のなにものでもありません。平成の天皇はいらっしゃいますが、平成天皇はいらっしゃいません。いずれそう呼ばれる日は来るかとは思いますが、現時点で平成天皇という諡の天皇は存在しません。
5月1日以降の今上天皇は現皇太子殿下です。皇太子殿下は5月1日以降今上陛下となられます。
約200年振りの天皇の譲位
このように時の今上天皇が関与しなかったり、未来予測のできる異色の改元となったのは、今上陛下が譲位することになったからです。悠久の日本の歴史において、次の天皇になられる現皇太子殿下も含めて天皇は126代続いていますが、そのうちの半分弱の58代が先代からの譲位によって皇位継承されています。
今上陛下の前の譲位は、江戸時代の第119代光格天皇(明和8(1771)年8月15日~天保11(1840)年11月18日、在位 : 安永8(1780)年11月25日~文化14(1817)年3月22日)以来の出来事です。僅か6代前の天皇の話ですが、年数で見れば200年も前の話です。とは言え、譲位自体は決して稀な出来事ではありません。
ただこの間の2世紀もの時間の流れが問題を複雑にしてしまいました。時代は封建社会の江戸から、近代法治国家形成を目指した明治へと移り変わりました。天皇の位は法律によって裏付けされ、確固たるものとなりました。そしてこの時代より一世一元の制が取り入れられました。
時代は更に大正、そして昭和へと進みましたが、この時勃発した第二次世界大戦で敗戦国となった日本は新たに憲法を作り直す必要に迫られ、戦勝国が原案した新憲法を受け入れざるを得ませんでした。これ以降天皇は日本国の象徴という、極めて曖昧な表現の存在として、憲法に明記されました。
旧憲法から新憲法に変わった時、旧皇室典範に記載されていた元号に関する項目を引き継がなかったので、昭和54(1979)年6月6日に元号法という元号に関する法律を成立させ、同月12日に公布し即日施行しました。この法律は一世一元の制を踏襲しています。
そしてこの元号法の下で初めて改元されたのが平成です。昭和64(1989)年1月7日に昭和天皇が崩御された後直ちに今上陛下が践祚されたことにより、同日元号法に基づいて改元に関する政令が公布され、翌日施行されました。平成元(1989)年1月8日、平成の始まりです。
この政令はその日に践祚した今上陛下が国事行為として公布しています。形式的とはいえご自身の御代の元号使用を、歴代の天皇と同様ご自身の下で決定していることになります。天皇と元号は密接な繋がりがあり、それが本来の姿と言えます。
それが令和への改元では、そうならなかったのです。
法律の矛盾点
それでもこのような事態になってしまったのは、譲位することが直接の原因ではありません。譲位の後、次の天皇が践祚される5月1日以降に改元すれば、従来の筋は通すことができたのです。
しかし世の中が急速にデジタル化し、コンピーターなしではもはや生きていけない現代社会において、一切の前触れもなく明日から元号が改まりますということになったら、OAシステムがパンクしてしまって、世間にパニックが広がる恐れがあります。
そのように予想される障害を避けるために、政府は前代未聞の改元を苦渋の思いで決断したのだと思います。国家の伝統よりも、現実の生活において予想される混乱を避ける方が優先されたというところです。
結局現憲法上では天皇であられても法の下にある存在なので、法を順守しなければなりません。だからこのような矛盾めいたことが起きてしまった訳です。
ところがこの譲位という行為は、厳格に申し上げれば法律の規定に則していなかったのです。
現在の皇室典範には皇位継承に関して、天皇が崩じた時に皇嗣が直ちに後を引き継ぐ旨が記載されています。これは本来天皇が崩じなければ皇位継承してはならないという解釈と同一ではないかと思います。実際旧皇室典範には退位の禁止が明確に記載されていました。
ところが現実問題陛下はご高齢となられ、目まぐるしく変化する現代社会のご公務をいつまで全身全霊をもってこなしていけるのかが分からない、それが出来ない以上もはや天皇の務めはできないとお考えになり、譲位のお気持ちを示されました。
この陛下の切なる思いを受け入れるために、特例法を成立させて何とか辻褄を合わせた格好ですが、結局この200年振りの譲位という行為が、悠久の歴史を誇る日本国において何もかもを超越した天皇という特別な存在であり続けることと、法の下での天皇のお立場との矛盾点を明確にしたのだと思います。
おわりに
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現憲法によれば、天皇は日本国の象徴です。極めて曖昧な表現であり、曖昧な存在です。一方で元来日本人は、白黒はっきりつけるのが苦手で嫌いな民族です。曖昧を好むのです。曖昧を良しとするのです。
だから私は、天皇は法律の規定にがんじがらめになる必要はなく、ケースバイケースでいいと思います。常に日本国の安寧を願い、自身を律し続ける天皇が、いついかなる時も国民に不利益を蒙らせることなど、あろうはずがありません。
だってそもそも憲法には、天皇は曖昧な存在と明記してあるのですから。