平成は31年4月30日で終わります。翌日には令和に改元されます。改元されるのは、今上陛下が4月30日一杯をもって天皇の位を皇太子殿下に譲位されるからです。ですから翌日は令和元年の5月1日です。
この日より新しい天皇、第126代天皇が登場し、我が国の新しい歴史を担われていかれます。一般にこの日は即位の日と呼ばれていて、政府も率先してこの言葉を使っているようですが、本来は即位の日ではありません。践祚の日と呼ぶべきです。
目次
践祚と即位の違い
|
こうして政府までもが敢えて混同させて使う背景には、戦後憲法の下、政教分離が強く意識され、伝統的な神道の形式を極端なまでに抑え込んでいるからです。
事実、現在の皇室典範には即位の語しか記されておらず、践祚という語はどこにも出てきません。しかし、本来践祚と即位は違うのです。
即位とは、即位礼をもって内外に御代替わりを宣明されるお披露目の儀式です。この度の御代替わりは、今上陛下の200年振りの譲位によるものですが、先帝が崩御された場合は、喪が明けたという意味もあります。
それに対して、践祚はあくまで、天皇の位が空位にならないよう、先帝の崩御後、或いは今回のように譲位後、速やかに皇祖天照大神の前で天皇の位を継ぐ行事なのです。
ですから、今度の5月1日は、いわば践祚の日であり、即位の日と言うべき日は、即位礼の執り行われる10月22日です。
何よりも、今上陛下のおことばが、それらが明確に区別されていることを示しています。
『さきに、日本国憲法及び皇室典範の定めるところによって皇位を継承しましたが、ここに「即位礼正殿の儀」を行い、即位を内外に宣明いたします。』<即位礼正殿の儀、平成2年11月12日(月)(宮殿) : 宮内庁ホームページより部分転記>
新天皇の諸儀式
戦前までの憲法である大日本帝国憲法の旧皇室典範には、天皇の践祚即位礼その他に関して規定された登極令というものがありました。その登極令は、古来の伝統を重んじ、それに従って定められたものです。
登極令は皇室令であり、制定や改定に帝国議会は関与しませんでしたが、戦後、より民主主義的な新憲法が発布される前日に皇室令及附属法令廃止ノ件という法律が公布され、廃止されました。
要するに本来の言葉の持つ意味を無視して、波風の立たない工夫をしているのは、こうして現在の皇室典範からは登極令が消え、天皇になるための諸儀式に関する法的根拠も不明瞭になったためです。
しかし登極令が消滅した後の今上陛下の践祚や即位に関する儀式も、皇太子殿下が新天皇になられるために予定されている諸儀式も、この登極令を参考にしています。
時代が変わったとは言うものの、天皇になられるための諸儀式には、ひとつひとつに意味があり、それぞれに相応しい形式もありますし、それを代々引き継いでいかれるのはとても重要なことだと思います。一連の儀式を見てみましょう。
退位礼正殿の儀
これは新天皇自体の儀式ではありませんが、新天皇になられるために深く関連してきます。今回の御代替わりが、今上陛下の譲位によるものであるためです。
今上陛下が皇太子殿下に位を譲ることを宣言される儀式です。前回の譲位が200年前であるため、日本国憲法下では初めて執り行われる儀式です。
登極令にももちろん譲位に関する記載はなく、古典を紐解いて照らし合わせるそうです。平成30年4月30日、皇居宮殿で行われます。
剣璽等承継の儀
皇位が速やかに継承されたことを表す儀式です。令和元年5月1日、皇居宮殿にて行われます。皇居内剣璽の間に安置される剣の形代(神の御霊が宿っている複製)と璽(勾玉)に加え、天皇と国の印章である御璽と国璽が新天皇に引き継がれます。
天照大御神から代々受け継がれてきた皇位の象徴として三種の神器と呼ばれるものがあります。三種とは剣、玉、鏡です。
剣は草薙剣であり、実物は熱田神宮に神体として保管されていて、その形代が剣璽の間に保管されています。玉は八尺瓊勾玉であり、これのみ本物が剣璽の間に保管されています。
鏡は八咫の鏡であり、実物は伊勢神宮内宮に神体として保管されており、その形代は皇居内賢所に保管されています。
この三種の神器は、直接目にしてはいけないものとされており、今上陛下でさえ、実際にご覧になったことはないそうです。なお、三種の神器については非課税とされています。
即位後朝見の儀
新天皇が国民を代表する三権の長らと会見し、皇位継承を宣言する儀式です。令和元年5月1日、皇居宮殿にて行われます。
即位後という名称ですが、あくまで皇位継承を宣言する儀式であり、本来は践祚後です。天皇陛下のおことばに、こうあります。
『大行天皇の崩御は,誠に哀痛の極みでありますが,日本国憲法及び皇室典範の定めるところにより,ここに,皇位を継承しました。』<即位後朝見の儀、平成元年1月9日(月)(宮殿) : 宮内庁ホームページより部分転記>
即位礼正殿の儀
玉座である高御座に新天皇が、御帳台に新皇后がそれぞれ立たれ、自らの即位を国の内外に宣明する儀式です。令和元年10月22日、皇居宮殿で行われます。
諸外国でいうところの戴冠式や即位式に該当し、国内外から多数の賓客が招かれます。特に国外においては国家元首あるいは首脳級が参列します。
即位礼は昭和天皇までは京都御所紫宸殿で執り行われていました。警備上の問題などもあって、今上陛下になってから皇居で即位礼が執り行われるようになりました。
今でも玉座は京都御所紫宸殿に保管されており、今上陛下の時は陸上自衛隊のヘリコプターによって皇居まで運ばれました。しかし今回は民間業者へ委託され、計8台のトラックによって、既に陸路で皇居まで運搬されています。
祝賀御列の儀
国民の祝福を受ける儀式です。令和元年10月22日、東京都内をパレードします。パレードに使われる車両は、昨年6月に21年ぶりにフルモデルチェンジされた、トヨタ自動車の新型センチュリーで、オープンボディに改造された特別車両です。御料車としてほんの数台生産されているセンチュリーロイヤルがベースになるかも知れません。
なお、パレード用の御料車としては、ロールスロイス社製のオープンカーがあります。今上陛下の時の祝賀御列の儀に合わせて調達されました。昭和天皇の時は馬車でしたが、馬は不測の事態で制御困難になるリスクもあり、警備上、より安全な車を使うことになりました。
ロールスロイスはその後皇太子殿下御成婚の祝賀パレードでも使用されましたが、その後行事で使われる機会がないまま老朽化していまい、結局2回公道を走っただけで廃車となりました。
ロールスロイスの購入価格は当時約4000万円、この度のセンチュリー購入の予算は8000万円と言われています。これを見れば決して安い買い物ではありませんが、日本国の威厳を示すのに貧相な車は使えません。
仮にロールスロイスを修理したとしても、希少車故に2000万円近い金額が必要だろうと言われています。そのようなことも考慮に入れれば、寧ろこの度国産車が選ばれたことはとても良かったと思います。
当然のことながらこれは皇室の私用の車ではありません。日本国を象徴するための車です。今上陛下御自身も自家用車をお持ちで、皇居内で運転されておりますが、それは1991年式本田技研工業の2代目インテグラです。低グレードの4ドア車で、しかもマニュアルミッションです。
当時の値段で約120万円、長年大切に乗り続けてこられたようですが、次回は運転免許を更新されないご意向を陛下は示されておられましたので、今年の1月で更新日が過ぎているはずの現在どうされているかは未確認です。
饗宴の儀
国内外の賓客を招いて即位を披露する宴の儀式です。10月22日と25日に着席方式で、29日と31日には立食形式で、計4回皇居宮殿で行われます。
饗宴の儀は内外の要人やVIPをもてなす重労働と言っても過言ではありません。今上陛下の時は全て着席方式で計7回、しかも4日連続で行われ、3400人もの招待客が呼ばれました。
豪華な料理といえども、凡人ならばそれを連日過密なスケジュールの中で食べ続けることはかえって苦痛を伴ってくると思います。ましてや要人達相手ですから、神経を擦り減らしてしまうに違いありません。
今回は、式典の簡略化や、新皇后になられる雅子妃殿下の健康状態も恐らく配慮されて簡略化され、スケジュールにもゆとりが出来ましたが、それでも招待客は2600人に及びます。
首相夫妻主催晩餐会
儀式参列のため来日した賓客に日本の伝統文化を披露し、来日への謝意を示す宴の会です。天皇の儀式ではなく、内閣総理大臣主催の会ですが、新天皇ご即位を祝賀して、10月23日に東京都内のホテルで開催されます。
概要としては、歌舞伎と能を供覧し、食事を供して、内閣総理大臣が挨拶を述べるという内容になっています。外国元首、祝賀使節やその随員、駐日大使等各夫妻、内閣総理大臣始め三権の長夫妻、国務大臣夫妻等が参列します。
こちらの晩餐会は饗宴の儀とは逆で、今上陛下の時の165か国686名の参列者数が、今回の予定は195か国900名と、大幅に増加しています。
大嘗祭
新天皇が初めて、神々に収穫した稲を供え、収穫に感謝するとともに国家国民の安寧を祈る儀式です。皇居東御苑に大嘗宮が設けられます。11月14日から15日に亘って行われます。
新天皇にはこの先多種多様なご公務が待ち受けていることでしょうが、天皇の最も重要なお仕事が、この国家国民のために祈るという行為であり、それは神代の昔から続けられてきているのです。
践祚される日と即位される日は休日
昨年末、天皇の即位の日及び即位礼正殿の儀の行われる日を休日とする法律という長々しい名称の法律が公布されされました。簡単に言えば、令和元年5月1日と、令和元年10月22日を国民の祝日扱いにして、休日にするという内容です。
但し即位の日と称する日も即位礼正殿の儀の行われる日もそれぞれ令和元年限りの1回ずつしかありませんので、当然のことながら来年以降は効力を失います。
ここで注目したいのは、天皇の即位の日及び即位礼正殿の儀の行われる日という言い方をしていますが、その日自体の名称が即位の日であったり、即位礼正殿の儀の日ではないということです。このどちらの休日にも、祝日としての名称は与えられていません。
実に巧妙な抜け道であると感じると同時に、実は前者の令和元年5月1日は践祚の日であり、後者の令和元年10月22日が即位の日であることを理解していながら、それを法的に表に出せないもどかしさが受けて取れます。
おわりに
ところで内閣府のホームページに記載されているこの法律の説明に、大変奇妙なことが書かれています。
『「天皇の即位の日及び即位礼正殿の儀の行われる日を休日とする法律」について
天皇の即位の日の平成31年(2019年)5月1日及び即位礼正殿の儀が行われる日の平成31年(2019年)10月22日は、休日となります。また、これらの休日は国民の祝日扱いとなるため、平成31年(2019年)4月30日と5月2日も休日となります
天皇の退位等に関する皇室典範特例法(平成29年法律第63号)を踏まえ、天皇の即位に際し、国民こぞって祝意を表するため、天皇の即位の日及び即位礼正殿の儀の行われる日を休日とする法律(平成30年法律第99号)が平成30年12月14日に公布され、即位の日及び即位礼正殿の儀が行われる日が休日(祝日の扱い)となりました。 (施行日:平成30年12月14日)』<内閣府ホームページより全文転記>
何という突っ込みどころ満載の文面でしょうか。内閣府ともあろう人材豊富な役所が、何という不敬の至りでしょうか。
平成31年5月1日は絶対に存在し得ません。平成31年10月22日も絶対に存在し得ません。前者は令和元年5月1日、後者は令和元年10月22日です。
まだ次の元号が決定していない段階での作成なのでしょうが、次の元号が令和と決まった以上、その瞬間にホームページを更新するくらいでないといけません。早く気が付いて欲しいものです。