令和という元号に改めるという政令が、平成31(2019)年4月1日、政府よって閣議決定されました。政令は直ちに天皇陛下のもとに運ばれ、陛下による署名を経て公布されました。
それを受けて同日午前11時41分、菅義偉内閣官房長官は首相官邸で記者会見し、平成の次の元号は令和であることを内外に発表しました。出典は万葉集です。
この政令第143号は元号を改める政令と称し、元号法の規定に基づき元号を令和と改め、平成31年4月30日の翌日から施行する旨が記載されています。即ち翌日は令和元年5月1日です。
目次
令和は本当に異質な元号
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このように次の元号は令和に決まった訳ですが、その経緯は従来のものと比較して非常に特異なものとなっています。
改元の歴史
元号法という法律があります。元号法は昭和54(1974)年6月6日に第87回国会で成立し、同月12日に公布、即日施行されました。よって元号法下での元号の制定は、令和の前の平成もそうでしたので、これ自体は目新しいことではありません。
それにしても645年の大化に始まり、令和を含めて248個ある日本の元号の歴史から見れば、元号法は非常に新しいものです。では平成より前までは、どのように元号を決めていたのでしょうか。
元号の始まり
元号は元来、君主の治世は空間だけでなく時間にまで及ぶという考えに基づいています。覇権争いが頻繁に起こった中国では、元号を用いることが、それまでの王朝よりも自らの正統性の方が優れているという証しでした。
645年の乙巳の変から始まった一連の改革を、大化の改新と言いますが、天皇を中心とする律令国家成立を目指すために、この時中国に倣って日本において初めて大化という元号が用いられました。
しかし日本における元号の使用は、当初は君主の力を誇示するためという側面があったのかも知れませんが、それよりもむしろ天下安寧の願いを込めて用いられてきたとみるべきでしょう。
実際この日本初の大化という元号ですら、僅か5年弱で白雉という次の元号に改められています。どちらも同じ孝徳天皇の治世の下です。穴戸国(現山口県)の国司から白雉( 白いキジ)を献上されたことによる祥瑞改元です。
封建時代終了まで
大化、白雉と続いた元号は、孝徳天皇が崩御した白雉5(654)年10月10日以降、いきなり使われなくなります。次に復活するのは30余年を過ぎた朱鳥ですが、この朱鳥も僅か1か月半の寿命で再び元号が消滅します。
それから15年弱の歳月を経て、三度元号が使われるようになりました。その時の大宝という元号以降、現在まで途切れることなく改元され続けています。
時代の経過とともに天皇を中心とする律令国家は単なる名目上のものとなり、武家が台頭し統治する封建社会へと移り変わっていきました。
元号は時の天皇とともにあり続け、時の天皇がその決定に関与していましたが、天皇の治世を誇示するものではなく、天皇が日本国の平安無事を祈って使うものとなりました。
ですから同じ天皇の在位のうちに改元されることは何度もありましたし、封建時代最後の天皇である孝明天皇などは、当時の激動の時代を反映して、約20年の在位期間に6度も改元しています。
近代に始まった一世一元
江戸幕府が瓦解し、封建社会は幕を閉じました。西欧の列強諸国に肩を並べたい明治政府は、新たなる人心掌握の手段として、大化の改新よろしく、王政復古の大号令を詔勅させ、その後も天皇を中心とする立憲君主国家の設立を急ぎました。
それに伴い慶應4(1868)年9月8日、一世一元の詔が詔勅され、天皇一代につき一元号とする一世一元の制を定めて、天皇の下での人臣の求心力を高めさせました。それ以降現在まで一世一元の制は引き継がれます。また元号はそのまま天皇の諡となるのが慣例となっています。
日本でそれが始まった明治の時と現在とは天皇の存在の在り方も違いますが、それを踏襲したのは結果的には良かったのではないかと思います。なぜならば、現代社会目まぐるしい速さで文明改革が進むので、短いスパンで元号が頻繁に改められては、日常生活に支障をきたすのは間違いないからです。
法律に基づく現代の改元
やがて我が国にも法治国家として当然あるべき憲法ができました。明治22(1889)年2月11日に公布され、翌年11月29日に施行された大日本帝国憲法は、一世一元の詔を踏まえて、皇室典範に元号に関する記載を加えました。
しかし大正、昭和と時は過ぎ、第二次世界大戦の結果敗戦国となった我が国は、戦勝国占領の下、憲法を根本的に差し替える必要に迫られました。こうしてできた出来た新憲法である日本国憲法の新しい皇室典範からは、元号に関する記載が消滅してしまいました。
昭和天皇も高齢となり、世間では次の元号についての関心が高まるようになりましたが、元号に関する法的根拠が何もありません。戦後の昭和という元号はこの時点まで、いわば単なる習慣として使用していた訳です。
そこで国会は、昭和51(1976)年の世論調査で国民の87.5%が元号を使用していると回答した事情を踏まえ、昭和54(1979)年6月6日に元号法を成立させ、同月12日に公布し、即日施行したのです。
昭和の元号はこの法律の規定に基づき定められたものと見做され、平成の元号は昭和64(1989)年政令第1号の元号を改める政令により定められ、同年1月7日公布、翌日平成元(1989)年1月8日に施行されました。
今回の令和は、元号法に基づく2回目の改元です。
前例に当てはまらない元号
ここまで長々と説明して参りましたが、令和以前の247の元号と比較して、何が異例かお分かりになられたでしょうか。
元号は民衆が時々の雰囲気によって自由に決めるものではありません。元々は君主の統治を象徴するものでしたし、その後も天皇が日本国の安寧を願って決めるものでした。
法治国家の現在においても、元号法という法律の下で、天皇の御代代わりに改元すると明記されており、今も昔も天皇とともにあることは変わりありません。
現に昭和までは、最終決定権は天皇にありましたし、平成においても、今上陛下が政令発布にご署名されていることで、形式的にではありますが、ご自身が関与されている訳です。
ところが今回は、改元が今上陛下の御署名によって、法的に有効になっているのです。つまり、次の天皇の御代の元号に、次の天皇が一切関与していないのです。
明治以降は元号がその時の天皇の諡号となるのが慣例であり、平成の天皇もいつの日か平成天皇と呼ばれるようになるでしょうし、令和の時代の天皇も恐らく然りでしょう。そういう意味においては、天皇と元号は近代以降の方がより密接に関わりがあると言ってもいいかも知れません。
ところが令和の天皇は、ご自身の諡をご自身でお決めになることが出来なかったということになってしまいます。諡がどうなるかはまだ将来のことですから、或いはこの先ご自身で、元号とは無関係の、ご自身に相応しい諡号を用意されることが、ひょっとしたらあるかも知れません。それにしても改元に時の天皇が全く関与しなかったのは、元号の歴史始まって以来のことです。
元号消滅の危機を、元号法という法律を定めたことによって脱することができたのは史実です。しかしそれによって元号法成立以降は、改元は法的根拠によって行われます。
そうなると、平成からの改元という政令が公布されて令和という次の元号が決定している以上、たとえ施行日がまだ少し先だとしても、今現在元号自体は、使われている平成という元号と、まだ使われていない令和という元号の二つがあるという見方すら出来てしまいます。
そんなことももちろん今までに前例がありません。法律に縛られることによる、ある種の弊害なのかも知れません。
他にもある新元号の特異性
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初春の令月にして、気淑く風和ぎ、梅は鏡前の粉を披き、蘭は珮後の香を薫す。
これは万葉集巻五、梅花(うめのはな)の歌三十二首の序文です。
令和の出典
次の元号である令和は、この序文の文言から二文字を引用したものです。出典が万葉集だということは極めて異例です。
万葉集が異例ということではありません。万葉集という国書から引用したということが異例なのです。今までの元号の出典は、確認できる限り全て中国古典、即ち漢書でした。
万葉集は、約1200年前に編纂された日本最古の歌集です。そこには天皇や皇族、あるいは貴族だけでなく、防人や農民といった幅広い階層の人々が詠んだ歌が収められています。
今回初めての国書からの出典となりますが、我が国の豊かな国民文化と長い伝統を象徴していると分かれば、違和感はありません。良い選択ではないでしょうか。
令和には、人々が美しく心を寄せ合いながら文化を育み、自然の美しさを愛でることができる平和な日々に感謝しながら、希望に満ちた新しい時代を切り開いていくという願いが込められているそうです。
改元前の改元
元号は普通、改元と同時に改まるものです。とは言え、改元を決めた日から遡って、以前の元号だった日々を新しい元号だったとする場合もなかった訳ではありません。
しかしこの度の改元は、改元決定の日から何日か経過して、実際には30日後に有効となる訳です。つまり、次の元号が予定されているのです。
これはいわば、改元前の改元ということです。言葉遊びをしているつもりはありませんが、とにもかくにも、あらかじめ用意された元号というのは今までなかったことで、極めて異例と言えるでしょう。
おわりに
私は次の元号の批判をしている訳では決してありません。私は日本独自の元号という理念が好きですし、元号が使えることを誇らしく思っています。新しい元号が決まって、喜びも一入です。令和、何と美しい響きの元号ではありませんか。
私がここで述べたかったのは、レイワのレイワ、いレイだワ(令和の例は、異例だわ)、ただそれだけです。